「林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里」林 芙美子 著/立松 和平 編

前の記事で感想を書いた「サガレン」を読む中で、引用されている作品の原文を読んでみたくなり、林芙美子氏の旅行記を集めたこの本を手にした。



これが、大変素晴らしかった。文章は軽妙で読みやすく、また風景や空気感の描写が巧みで、その場の光景がありありと目に浮かんでくるような戦前の紀行文の短編集。読んでいてとても楽しかった。表題作では著者が実際に塗り下駄をはいてパリの街を歩いており、その様子を「ポクポク」という擬音語/擬態語を用いて表現していて、とても微笑ましい。この「ポクポク」あるいは「ぽくぽく」という表現が著者はお気に入りだったようで、他の短編でもよく使われている(歩く様子だけでなく、大地の土の様子を指しても使われている)。なんとも心が温かくなるようないい言葉だ。自分も機会があれば使ってみよう。

また、シベリア鉄道に乗ってパリへ向かう旅費を細かく記載している部分もあって、歴史的な資料としても貴重な文章だろう。時節柄、鉄砲の発砲音が響く中を汽車が走る描写もあり、戦時下の緊迫感が伝わってくる。いっぽうで、そんな中で大陸を横断する一人旅を敢行する著者の勇気というか、無鉄砲さというか、(編者の立松氏も巻末に書いているが、)よくこの時代にこんな女性がいたなというか、驚きを禁じ得ない。

ちなみに先の「サガレン」で樺太の旅において国境行きを断念したのは警察による監視を恐れたためでは・・・といううがった見方をされていたが、単純に本文中で語られている通り、旅費が心もとなかったからだろう。前述のとおり鉄砲の弾の下を走るような列車に乗る人だ。それに毎度毎度、心もとない旅費で旅に出ているようだし(笑)。

さて、その樺太への旅の後日談に当たる短編「摩周湖紀行」で気になった点が2つ。1つは阿寒湖へ向かう最寄り駅だったらしい「舌辛(したから)駅」という見慣れない駅名。激辛料理を連想させるような舌辛駅なんて、そんな駅あったかなと調べてみると、1970年(昭和42年)に廃線となった雄別鉄道の駅であった(1950年(昭和25年)に阿寒駅と改称)。

もう1つは、弟子屈温泉で蜩(ひぐらし)が鳴いていたという描写で、おやっと思った。ヒグラシが道東に分布していたかなと調べてみると、やはり分布していない(道南以南に分布。近年は温暖化で札幌辺りまで北上?)。6月中旬という季節を考えてもヒグラシには早いので、どうやらこれはエゾハルゼミだと思われる。鳴き声にヒグラシを思わせる旋律が含まれているので、このセミの存在を知らなければヒグラシと思っても無理はない。ささやかながら、著者が気づかなかった真実を見つけられて、なんだか小気味良い(笑)。

ぜひとも手元に置きたい、あるいは旅先に持って行きたい1冊。あえて苦言を呈するとすれば、1つは、各短編の末尾にある「(昭和○○年○○月)」という記載について、これが何なのかという注釈が無いこと。最初は著者が旅した時期を示すのかと思ったが、本文中と矛盾するものがあるので、どうもそうではなく、おそらく著者自身が各原稿の末尾にそれを書いた時期を記載したものと思われる。もう1つが掲載順。旅をした時系列順ではなくバラバラなのが残念。編者にこだわりがあったのかもしれないが、前後関係が分かりにくくなっている。ここは時系列順にしてほしかった。ただ、いずれも著者というよりは編者に責任の所在がある問題であり、作品の素晴らしさは揺るがない。オススメの本である。



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