一昨日辺りからツイッターで十三駅の改装工事によって露わになった昔の案内表示が話題になっていた。一昨年見たJRの寺田町駅の駅名板に通じる状況と趣き。見てみたくなって今日の午後行ってきた。

ホームから地下通路へと続く階段を降りきるとそこにあった。筆文字で曲面の壁に書かれた行先案内表示。

阪急・十三駅の昔の案内表示

阪急・十三駅の昔の案内表示

阪急・十三駅の昔の案内表示

左上の手の形の矢印といい、味わい深い。右から「宝塚 みのお 京都 大阪 中津」と書かれているが、少しずれて「宝塚 みのお 京都 嵐山 大阪」の表記も見え、さらによく見るとうっすらとさらにずれた表記も見える。何度も書き直されてきたようだ。仮に「京都」が京都方面の意味ではなく駅名なら、京都本線の河原町延伸により阪急京都駅が大宮駅へと改称された昭和38年6月17日より前のものということになる。表示は地下通路の2・3号線ホームへの階段入り口の左右に1か所ずつと、4・5号線ホームへの階段入り口の左右に1か所ずつの計4か所ある。

阪急・十三駅の昔の案内表示

阪急・十三駅の昔の案内表示

このうち4・5号線ホームへの入り口の右側にある表示にはシートがかかっておりよく見えないが、薄ら透けているのを見る限りでは一番状態が良さそう。これは希望的観測だが、もしかすると保存へ向けての保護のためにシートに覆われているのかもしれない。そうであれば嬉しいのだが。寺田町駅の駅名板(なんと欠損部分を復元したうえで解説板付きで保存公開されているらしい)のようになりはしまいか。

※2017年2月25日、OLYMPUS STYLUS TG-4 Tough。



先月3~5日に広島県へ家族旅行で行ってきた。その模様を写真をメインに紹介する。最終回は3日目に行った竹原。

忠海から呉線で竹原へ。竹原といえば6年前の旅でうっかり不通区間があるのを知らずに呉線をプランに組み込んでしまい、代行バスに乗るため降りた場所(記事はこちらこちら)。室町時代からの製塩で栄え財を成した豪商の屋敷が今も残る重要伝統的建造物群保存地区とはいえ、当時は観光地という認識は無かったが、その後アニメ「たまゆら」の舞台となったり、NHKの朝ドラ「マッサン」縁の地になったりでにわかに注目を浴び、観光雑誌にも取り上げられる人気の場所となった。いつかゆっくり見て歩きたいとは思っていたが、家族旅行で来ることになるとは。

▼竹原駅の外へ出ると「おかえりなさい」の文字
竹原駅

駅前の商店街には「たまゆら」のキャラクターがあちこちにあってテーマパーク状態。よりファン層が広そうな「マッサン」に押されているかと思いきや、(「マッサン」はメインの舞台ではないこともあるだろうが)思っていた以上に町と「たまゆら」の結びつきは強いようだ。そんな商店街を抜け、いよいよ古い町並みが残る地区へ。

▼旧・笠井邸の2階からの風景
竹原にて

▼数日前が竹灯りのイベント「憧憬の路」だった名残か
竹原にて


▼お抱え地蔵。持ち上げて予想以上に軽ければ願いが叶うらしいが、想定をはるかに超える重さ(泣)
竹原にて

▼お好み焼き店“ほり川”。ただお好み焼きはもう尾道で食べたのでこの日の昼食は・・・
竹原にて

▼酒蔵交流館の中にある蕎麦屋“たにざき”で昼食
竹原にて

▼町を見渡せる普明閣
竹原にて

竹原にて

普明閣で、これから呉の大和ミュージアムへ行く両親と別れ自由行動。引き続き竹原の町を散策。

▼昭和7年築の木造の旧写真館“日の丸写真館”
竹原にて

▼古民家カフェ“茶房ゆかり”でまったりティータイム。「たまゆら」の舞台となった場所でもあり、私がいる間にも聖地巡礼らしき方が入れ代わりやって来ていた。私も店の方が親切に勧めて下さったので屋根裏や囲炉裏を撮影させて頂いた。チーズケーキも美味しく雰囲気も良い。いつか再訪したい
竹原にて

竹原にて

竹原にて

竹原にて

ティータイムも含め撮影と散策を堪能し、帰路に着く。距離的には三原へ出て新幹線に乗るのが近いが、ダイヤの都合と両親と合流せねばならないということもあって遠回りではあるが広島へ。広島駅からは初乗車の「さくら」で新神戸へ。今回の旅が終わった。

▼竹原駅
竹原駅

▼さくら@広島駅
さくら@広島駅

※2016年11月5日、OLYMPUS E-620 + ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD(1・2・6・13~15枚目はOLYMPUS STYLUS TG-4 Tough)。

先月3~5日に広島県へ家族旅行で行ってきた。その模様を写真をメインに紹介する。今回は2~3日目に行った大久野島。

尾道駅から山陽本線に乗車。三原から呉線へ乗り換え、忠海から今宵の宿がある大久野島へ。

▼三原駅にて。乗ってきた湘南色の115系(左)が新型の227系と並んだ
三原駅

▼呉線・忠海駅にて
忠海駅

▼忠海港から乗船
忠海港

忠海港から15分ほどで大久野島へ到着。早速足下にウサギがわらわらとやって来た。忠海港で餌が販売されていたし、餌をくれると認識しているのだろう。とてもかわいい。

島の各所でたくさん見られ名物となっているこのウサギ。昭和初期に旧陸軍がこの島で毒ガスを作っていた際に実験動物として飼われていたものの子孫で、戦争の悲劇を今に伝えるもの・・・とばかり思っていたが、実際のところは1971年に地元の某小学校で飼われていたものが放たれて野生化したらしい(実験動物だったウサギはすべて殺処分されている)。このアナウサギは世界の侵略的外来種ワースト100の一つであり、全く褒められたことではない。島の植生に間違いなく影響を与えている。ただ、すでにウサギが観光資源として確立してしまっていることや、そもそもここの生態系に保全する価値があるのかという観点もあろうし、ウサギがいるのは良いことではないと思うが、駆除が可能か以前に意義があるのかもよく分らない。なお、新たなウサギを放すことは禁止されている。

複雑な思いはあれど、被写体としての魅力は否定できない。シャッターを切ったが、よく動くし夕暮れで薄暗く、フラッシュを焚くわけにはいかないのでブレブレ。まともには撮れなかった。

宿へ向かう前に港近くの発電所跡の廃墟へ。1929~45年に、毒ガス製造のためのディーゼル発電をしていた場所。また、戦時中には風船爆弾の風船部分を作る施設でもあったらしい。夕闇迫る中、短いトンネルを抜けた先に黒々とそびえていた。

大久野島

大久野島

大久野島

廃墟の写真を見るのは結構好きな一方で、自分で実物を見て撮影するのは初めてではないかと思う。窓が割れ、窓枠が外れてぶら下がり、ツタが這う壁面。素晴らしい。歴史は歴史として撮影は楽しかった。立入禁止の看板を無視して柵を越え立ち入る外国人がいたのは残念だったが。

瀬戸内海の夕暮れと灯台の光を見ながら宿へと歩く(無料送迎バスまで時間があり過ぎた)。旅の二日目が終了。

大久野島

旅の3日目早朝。1時間ばかり島内を散策して廃墟巡り。道すがら、ウサギも多いがカラスも多い。実はカラスはウサギを捕食しているらしく、主に子ウサギが犠牲になっているようだが、カラスに襲われて逃げ惑う姿も目にしたし、鼻が削がれたウサギもいた。カラスの嘴にやられたのだろう。いびつではあるが、ウサギはこの島の食物連鎖の一部に組み込まれているのだった。

▼毒ガス貯蔵庫跡
大久野島

▼日本庭園跡。中央の溝のような部分が遣り水か。そんなものがあったことが驚き
大久野島

▼トイレ跡。便器は陶製だった
大久野島

▼長浦毒ガス貯蔵庫跡。奥の壁の十字模様といい、まるで教会の廃墟のようなのが皮肉
大久野島

▼ウサギは餌をもらおうと突進してくるので、正面顔以外のシャッターチャンスは中々ない
大久野島

大久野島

煉瓦造りの中部砲台跡へ行く時間が取れなかったのは残念。いずれ再訪したいと思う。
朝食後、送迎バスで港へ。船までの時間を利用して昨日の発電所跡へ。

▼桟橋跡
大久野島

▼発電所跡
大久野島

行きはフェリーだったが、帰りは小さな客船で。大久野島を後にして、この旅最後の目的地、竹原へ向かった。

※2016年11月4日(8枚目以降は5日)、OLYMPUS STYLUS TG-4 Tough(4~8・11枚目はOLYMPUS E-620 + ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD、7枚目はRAW現像)。



一昨日初雪が降ったので、遅ればせながらブログのテンプレートを冬仕様に変更。